dicembre 09, 2006
giugno 30, 2006
最終回・あとがき


昨年の7月1日からスタートしたこの「旅日記」、別に旅行のコラムなんぞ書くつもりもさらさらなく、相変わらず「俺の半径5m以内の出来事」を中心に書き進めていたつもりであった
(※一番初めの文章でも書いたが「忌野旅日記」という本の受け売りだった)
ところがこの一年、フタをあければビックリ仰天である
俺も当初考えても見なかったくらいあちこちに出かけてしまった結果となった。
第一、国内の自分の「南限」と「北限」をこの一年で一気に広げてしまったから驚きである
(今までの南限は熊本、北限は仙台)
7月には初めて鹿児島に行ったかと思えば、10月には初めての北海道である室蘭まで行ってしまう
そして更に2月には沖縄へ行って更に南限を広げる始末だ。あきれるほかないのである。
俺だけではない。息子も今考えれば俺以上にいろんな旅をした。
鹿児島へフェリーで行き、そこから各駅列車で親戚宅(北九州と飛騨地方)をたどっていったり、高知の室戸までこれまた各駅で行ってなぜか(帰ってから聞いたのだが)定置網漁船に乗って漁を体験したりと、今考えればすごいことをしてくれたわけで
もう彼はすでに俺の知らない日本を知ってしまったし、この先もまだまだ俺の知らない自分の世界を広げていくに違いない。
本当、馬鹿というかどうしようもない親子である。などと自分でいうのも背中がかゆいが
いよいよ愛すべき現場、そして現場の愉快な仲間との日々も、10月までにはすべて移転によって変わります
移転はただのお引越しに終わらず、環境の変化とともにたくさんのやさいくだものや花、そしてうるさいオヤジとお笑いとゴミにまみれた非常にナーポリな現場はすべて古いものとして「棄てられる」運命になります。
想像を越える近代設備の中で「やっちゃば」は無機的な「食品物流センター」になり、ひたすら物流効率を追い求めて関東のハブ市場として発展し続けることでしょう(棒読み)
それに直面するときには当然のことながらたくさんの取捨選択があり、たくさんの人との別れがあり、直視できないくらい厳しい現状を目の当たりにするでしょう。
そのときに果たして俺が生き残っていけるかどうかは正直わかりません。この市場に勤めて10年、あきらかに市場の実態は幼稚な物流センターに転落してるのだなと感じます。またそれでよしとする経済効率優先の情けない現状に俺は飲み込まれているのだなと。
世間では野菜のソム●エだ、ローハスだと「いかにも」なくだらない「夢」ばかりが世の中を謳歌している。
ただその「夢」は仕掛け人が「いかにお金をむしりとるか」の手段にしかなってない、ということにそろそろ気付くべきだと俺は思う。お金がとれなくなれば広告代理店も「はい次!」なのはミエミエなのだから。
野菜を取ってヘルシーになるのは結構、オーガニックで自然にやさしいくらしを実感するもごもっとも。
ただ、その現在位置が本当の意味での「ロ-ハス」なのだろうか?
不法就労の外国人を奴隷みたいに使っていかないと生産が維持できない日本の食糧事情は、果たしてこの先誰がどうやってつなげていけばいいのだろうか?
現場にいていろいろと考えるあれこれ、たぶんそれも何かに飲み込まれていくのだろうね・・・・。
さて、この「小間切れ」日記シリーズも一旦ここらで区切りをつけたいと思います。終了です。
飽きたとか、やる気がないとかではなく、まあいろいろと正しい理由があるわけで(笑)
もし・・・かしたらどこかみなさんのしらないところで、いつのまにやら勝手に始まっているのかもしれないし、そうでない・・・かもしれません。
なかなか会えなくて近況を伝えられない友人には、個別に連絡します!!!!
ではこれにて失礼
(Fine)
giugno 29, 2006
多忙

なかなか、身動きがとれないのである
業務が恐ろしくたてこんでる今週は、本当にめまぐるしい
おとといの夜、事務所のエアコンがブッ壊れて皆大騒ぎ
(復旧見込みは早くて土曜)
ま、俺はほとんど現場か外周りだから関係ない
家に帰ってもエアコンはない
さて、しょうこりもなく一年間続けた、このヨタ日記も明日はいよいよ最終回
giugno 25, 2006
punti10,ma…

初の全国リーグ参加で沸き踊るFC琉球が来た
誰もが東京?と疑う、しかし俺の家からは一番近いココ多摩陸上での一戦は終わってみればワンサイド・ゲーム
ここ数年、この丘の上の会場にこんな人が集まったことはない
530人くらいだという
JFL前期 第16節 多摩市立陸上競技場
佐川急便東京SC 5‐0 FC琉球
順位は変わらない。トップとの差は10で変わらない。
しかしこの一ヶ月間はすごい事が立て続けに起こりそうだ
JFLからは目を離せない
試合後、会社へ向かう道すがらひさびさにいい気分に
BRAVO!JUMBO!
再び得点ランクのトップ(タイ)に
giugno 23, 2006
OUT
3時に起きて息子と福生へ
早朝ということもあり、ボアソルチカフェは前回のクロアチア戦ほどではないにしろ、座る席は満席とやはり熱かった
完全に追い込まれた状況下で迎えたGL三戦目、しかしよくぞここまで残った。
試合は、うーむ
去年の天皇杯の佐川東京と川崎の試合のVTRを見せられたような、そうでないような
後半30分「予定どおり」息子を残して、俺は現場へと向かっていく
息子はむしろココから直接学校に向かうほうが近いのである。カフェで本間さんか作る自家製ワッフルを朝飯に、まったく優雅なことで(笑)
さて、ワールドカップはここからだ
まだまだ続くよ
giugno 21, 2006
giugno 20, 2006
6.19

今日は21回目の兄の命日
いつもの年と明らかに違うのは、この抜けるような青空
そういや兄がなくなった時は嫌な雨がこれでもかこれでもかと降りつづけていた
雨の6月は苦手である
だから今日は気分はかなり良い
しかし天気に反して時間を追うごとに業務はぐだぐだとして俺を苦しめる
このへんは今日の空のようにすっきりはしないものである
そんな業務中にMr.Fからフットサルのお誘い連絡が入る
おおそうだ。月曜か
魅力的なお誘いは断る理由はないのである。頑張って早く終らせてボールを蹴りたいな
本当、いつも氏には感謝である
(いつでも俺はフットサルが出来る道具を車に入れて持ち歩いているのだ)
でも、それもこれもぐだぐだ業務に押し流された
畜生め
ひとりの事務所を閉めたのは夜8時30分
一旦家に戻り、息子の夜飯を
息子が寝たあと、八王子の実家まで車で向かった
ねこのかめ君が迎えてくれた
兄の仏壇に手をあわせ、京都で買った新しいお線香をたてた
お線香の火が燃え付きるまでの約20分、俺は一旦心のスイッチを切る
兄が亡くなった当時の俺は中学二年生
いま息子がそのときの俺と同じ年齢だ
早いもんだ
線香が最後まで燃えきった
さてぼちぼち、と思ったところで、ねこのかめ君が床をころーんころんと転がってこっちを見る
(かまってくれ)
年はとってもねこはいつまでもねこだ
背中をゴリゴリ、掻いてやる。かめ君は目を細めて爪をにゅうっと伸ばす
さあ、帰るよ
星が見えた
明日も晴れか
giugno 15, 2006
ワールドカップを店で観る

まったくTVのない我が家は面倒くさい
とかなんとかいいながら、ここにあしげく通ってフットボールファンと一緒に楽しむのが良かったりもして
今日は息子はスペインに酔狂
俺はお供
月曜には立ち見を含めて80人入り、異様に盛り上がる「日本戦」があった
それと比べて今日は店内は落ち着いていた
さてと
スペインの初戦は初出場のウクライナか
オーナーの本間さんとゆっくり語らいながら
息子とスペインを観た4年前のクワンジュの夜を思い出しながら









