秋深まる
山梨では、ぶどう類もこの時期はレギュラーシーズンが終了。
温室ものをのぞいてこれからは「貯蔵もの」の出回り時期となる
貯蔵ものとして保存向けの木箱に納められたこの「甲州」が現場に並ぶ頃になった。
この木箱入り甲州は、これから12月のはしりまでじっくりと出荷されるのである。


ああ、もうそんな時期か。
俺はこれには、少し思い出がある。
まだ駆け出しの頃、やたらとこれを専門に買い付けている業者のおやじがいたので、まだ若かった俺は興味本位で、この珍しいぶどうはいったい誰が買うんだろう?と聞いたことがある。
「老人ホームさ」
おやじは忙しい手を休めもせずにいう。
「こんな、誰がみたってぶどうは時期はずれで誰も食わないと思うだろ?それでも食いたいっていうお客さんもいるんだよ」
そうかあ。
ぶどうが好きな人について考える。
たとえば人生の晩年になって、来年までもう厳しい、つまりもう次のシーズンのぶどうは食べられないかもしれないという頃を迎えたら。
どうしてももう一度食べたい…。
それはあまりに考えすぎだが、あながちない話ではない。
確かに今はハウスものや輸入ものがあるから、一年いつでもたいていの果物は調達可能だと思うかもしれない。
でも、完璧かといわれればそうでもないのだ。ぶどう、もも、すもも…これら夏果実は時期は以外と短いものである
この木箱入り甲州は、少しでも長くぶどうを出荷しようという時代のなごりでもあるし、現在も立派に流通している
くだものは人それぞれ、思いい入れというものがある。
「あの時期のあれが食べたい」と思う瞬間はきっと誰にでもあると思う。
人間はやはり天然の生き物だから、天然である証明に季節の産物を口にしたくなる欲望はある。それは人間である以上逃れられない。
己と自然との、接点として最も分かりやすいのがくだものだと、俺は思う。
つくづく人間てのは、悲しい生き物なんだと、現場にいながらいちいち考えてしまう
そんなこんなでこの時期は、このクラシックなスタイルの木箱に納められた甲州を見るにつけ、余計なもの想いが多くなる。
秋はめんどくさい