maggio 16, 2005

(再)日々是運動・ヴァカンス特別編⑩あとがき

もう読み飽きた方には、あらためてごめんなさいと言います。

でもこうして文章を移動してみると、すごく長い。他人の文章だったら耐えられないね(笑)
まああくまで俺の私的な記録なんでお許しを。そんな俺は文章をメシに変える力はたぶんないですから(おばさんだましてメシ食ってます)

このタビについては、俺と息子がふたりで撮った写真は計300枚くらいあるのだが、よりぬいて選びなおすという時間もなかったのでそのままです。

さて、自分にしては無茶に有給休暇をとって、やりたいことをつめこんでつめこんで(そのわりにはいきあたりばったりであったが)とせわしなかったが、やっぱり旅のもつ不思議なチカラとはすごいもんである。「幸せな休日」とあったが、あれが今までの自分の人生のウミやヨゴレを全部地中海のどまんなかに洗い流したわけだ。

さあ次の「幸せな休日」はいつになるだろう。俺にも、わからん!

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(再)日々是運動・ヴァカンス特別編⑨どうってことなく

どうってことなく


1月6日

バーリ・パレーゼ空港を飛び立ったヒコーキは、あっという間にフィウミチーノに着いた。途中、「お茶うけ」程度だが機内食もあった。

国内線ターミナルからそのまま出口へ、そして空港駅へと向かう。昨日もおんなじように空港駅へ向かっていったので少々かったるく思った。
時間も時間だからか、職員も旅客もほとんどいない。がらーんとした雰囲気。

駅の窓口もしまっている。自動券売機で切符を買い、かぞえても10人くらいしかいない空港駅でひたすらレオナルド・エキスプレスを待った。
空港駅の構内。灯かりもぼんやりとして構内は薄暗く、まるで終電間際のJR武蔵野線の駅みたいだった。

かなり待つ。

息子は立ったまま寝ている(ように見えた)。
ようやく列車が到着したのだが、まわりの人数はほとんど変わっていなかった。

昨日とはまったく逆で、がらがら状態のレオナルド・エキスプレスはローマ・テルミニに向かって滑りだした。息子は完全に寝てしまった。

帰国の段取りなんかを考えているうちにもうテルミニに着いた。

駅の時刻表で明日のレオナルド・エキスプレスの発車時間をチェックした。6時台前半。明日は意地でも起きねば。

ねぐらについてはまったく心配してなかった。駅ヨコにたくさん宿があった。
何も考えず、テキトーなペンシオーネにころがりこむ。60エウロだが高いとも安いとも何にも感じなかった。日本人のオンナのコとイタリア人の男がベタベタしながら向かいの部屋に消えてった。

部屋に入る。息子は1分くらいでぱっぱとあしたの支度して、あっという間にフトンに入って熟睡してしまった。俺は部屋の片隅でお土産で満杯になった袋の中身を小分けしたり、キタナイ服などをふんずけて圧縮して荷物をまとめたのち、目覚ましをセットして息子同様にすぐに眠りの世界に入った。


1月7日

朝は6時に目覚めた。
息子も自然に起きた。

まだ真っ暗闇のローマの街をとことこ歩き、駅へむかった。
ちょうど駅の売店で到着したばかりの新聞の仕分けをしていた。
コリエレ・デロ・スポルトを自分用に、ガゼッタ・デロ・スポルトをお土産用に買った。
インク臭いしんぶんを小脇に抱え、そのまま駅バールに飛び込んだ。息子はカプッチーノを、俺はカフェを飲んだ。

息子はすごくうまいすごくうまいといつまでも言っていた。ナーポリの方が美味いに決まってるんだけど、息子がうまいうまいというと不思議ととてもおいしいように感じるのだ。
これが息子の感覚に残った、この旅の最後のイタリアの味だ。思い出に残るのだろう。

レオナルド・エキスプレスはすでに待っていた。

ミランのマフラーをまいた奴とローマのマフラーをまいた奴がつるんでうろついていた。両方とも日本から来たらしい(完璧な日本語を話してた)。そうか、昨日はナイトゲームでローマとミランがやったんだっけか。両方ともいまいましい糞チームなんでもともと興味なかったが。

レオナルド・エキスプレスに乗り込み、コリエレ紙をひらく。
オリンピコでの昨日のナイトゲームがトップだ。あ、ローマが負けたんだ。ザマミロ、と笑う。
思えば数年前。ローマ優勝の年に、ナーポリはBへと転落した。終盤の大一番、サン・パオロでのドローはナーポリの意地だったが、優勝を決められずに荒れ狂ったローマのティフォジがナーポリの街を荒らしまくった。放火もあったらしいのだ。それをニュース映像で見たとき、俺は震えが止まらなかった。ローマのクソ野朗、何もかもキライだとおもった。
トウキョウスタジアムにローマのシンボル(オオカミと双子の赤ちゃん)が設置されたとき、本気でぶっ壊してやろうとさえ思った。憎らしさはいまでもおんなじだ。

ローマ、もっと居たかったなぁ。と息子が名残惜しそうにして言った。まぁ、キミがオトナになったらゆっくり行けば良い。

コリエレを読み進む。昨日のサン・ニコラの結果は、と思って少し先の「囲み」記事をたどっていくとアラびっくり!

なんと一面ばっちりサン・ニコラの結果があり、しかもカラー面!
なーんでこんな試合をわざわざ(笑)。事情や背景は知らないけど、なんとなくうれしかった。どうやらこのコリエレ紙が保存版のおみやげになったようだ。
見だしのお言葉が”brutto pari”だけど、まあご愛嬌だ。
闇の中、ローマ・テルミニからするっとレオナルド・エキスプレスが走りだした。

車内には見事に誰もいなかった。ひととおりコリエレ紙に目を通すと、俺はしばらくボーっとしながらひたすら空港駅へ着くのを待った。

ひたすら息子は外を見ていた。オレンジ色の灯かりが照らす風景が彼にはどう映っているのだろうか。

空港駅に着いた。ほとんど無人状態であった。どこの店もやってない。
アリタリアのチェックインカウンターに向かうが、目的の便の受け付けが見つからない。俺はがらーんとした空港をとぼとぼとうろついていた。
離れの建物のカウンターにようやくたどりついた。これだけで30分はロスしてしまった。

カウンターにはものすごい数の東洋人がならんでいた。話すことばと持っているパスポートをみると、半分は日本人で半分は韓国人だ。マルペンサと違い、カウンターにはさすがにサポートする日本人職員はいない。
だからかチェックインにはものすごい時間がかかっている。前の韓国人オンナが床をどんどんならして不満を爆発させていた。まあまあ。

なんだかんだでチェックイン完了。

どこの店もやってないので仕方なくそのまま出国し、出発ロビーにむかった。

ロビーはたくさんの人でごったがえしていた。しかしそこには、俺らをジロジロみる視線も、生活臭さもない。

ふと外をみると真っ白な「JAL」のヒコーキがでーん、と待っていた。アリタリアのチケットなのにJALというのははたして得なのかハズレなのか。まあどうでもいいか。
息子はひえーっと驚いていた。今までの人生で一番大きなヒコーキだからだ、たぶん。

搭乗がはじまった。

キップをもぎって機内に入った瞬間、もうココから「日本」になった。
そのあとはどうってことなく、ただひたすら長い長いだけの帰り道だ。


息子はもう「坊主!」扱いされることもなく、客室乗務員のキレーなオネーさんに「ボク」よわばりだ。意地悪な俺は「ボク?オレンジジュースがいいの?」「ボク?うんこは済ませたの?」とからかう。息子はかんべんして!と嘆く。

望外だが、すでに「日本」となってしまったコノ旅に少々寂しさを感じたが俺はとっとと頭を切り替えていた。まず急に緑茶が飲みたくなった。
俺はただひたすらに紅茶やコーヒーを拒否して、「熱い緑茶」をオーダーしてはオネーさんを走らせてしまう。
別に悪意はないんだが、ヴァレッタでおばあちゃんにいただいたイングリッシュ・ティーとナーポリのバールで無愛想なオヤジがいれたカフェの味が舌から消えちまいそうなんで、オネーさんがもってくるリプトンティーやネスカフェ・ゴールドブレンドはご遠慮させていただいたのだ。緑茶ならまったく問題ない。
最高に嫌な客だ(笑)。

経由地のモスクワに着いた。モスクワで降りる客とモスクワから乗る客と入れ替えだ。ついでに客室乗務員のオネーさんも入れ替えやがった。ありゃりゃ(笑)。
約1時間、モスクワ・シェレメチェボ空港で待つことになる。

面白い。

息子に「あの」シェレメチェボ空港を体感させることができるのだ。貴重な体験だ。

また軍人にライフルでおどされながら誘導されたりするのだろうか?変にわくわくしてきた。

期待は失望に変わった。
シェレメチェボ空港の職員は笑顔でてきぱきと対応しやがった。軍人はいなかった。

ロビーはなんか明るくこぎれいになっていた。

ルーブルと米ドルしか使えなかったはずの免税店は日本円をはじめ各国の金がちゃんと使えるようになっていた。

便所にはちゃんと「便座」も「紙」も完璧にそろっていて、床もきれいで「そそう」もなかった。
一番ショックであった。
ウチの職場のお便所の方がよっぽどキタナイじゃんか!俺の中でおといれのFIFAランキングの序列が変わった。

俺は途方に暮れた。

繰り返すがこんなシェレメチェボに心底失望した。7年の間にロシアに何が起きたんだろうか?

搭乗だ。
またそのあとはなんてことなく、成田にただひたすら向かっていくだけだ。

寝ておかなくてはいけない。成田着が朝の8時前後なのである。
しかし、カラダはウソはつけない。ついぞ数時間前に起きた俺は目を閉じたままで頭は完全に起きていた。
息子なぞさっさと座席からモニターをひっぱりだして「ニモ」の映画をみていた。
現在、映画館でやってるやつなのにココで見れるのか。それともバッタものか?

長い長いシベリア上空のフライトだ。
あきらめて、じっとしていた。

どうってことなく、ヒコーキは日本の上空にさしかかった。

茨城の北浦あたりで冬のたんぼの景色が見えた。

ふぅーっと、深呼吸した。

畜生、遠いなぁ。ヨーロッパから。
「極東」ってこういうことなんだよなぁ。

などと、いまさらながらに俺のおうちがある日本という国の置かれた位置をしみじみ思う。

ベルト着用のサインがでる。高度がどんどん下がってくる。

そうだ、帰ったらちゃんと「正月」しよう。
雑煮とか、作って腹いっぱい食べよう。

着陸体制に入ったとき、俺はもう別のことを考えていた。

(Fine)

(2004/01/08)

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(再)日々是運動・ヴァカンス特別編⑧フオーリ・カーサ


フオーリ・カーサ


1月6日

なんか体調がすぐれなかった。
オステロ・メルジェリーナでの朝はいまいち寝起きが悪かった。
昨日からなんかしょんべんの色が黄色いなぁ、
とは思ってたのだが、自分が考える以上にカラダはまいっているかもしらん。なんせ日本にいるときの12月20日からは不休である。元日も早朝から働いた。休みナシでここまで来たのである。

薄暗いメルジェリーナの風景を窓から眺めた。きれいだなあ。

mergelinaasa


駅ではすでに何本も列車がいったりきたりしていた。

mergelinaasa2


息子はまだ寝ている。いちいち起こすこともかわいそうになった。

起きているにもかかわらず、カラダの機能がついていかない。
そんなこんなで本日の予定に神経がゆきとどかない。これがのちに起こるすごい事態の引き金となる。

朝飯はこの国のオステロ名物、とでもいうべき堅いパンとインスタントカプチーノ。パンの堅さったらおそらく頭にぶつけたら「たんこぶ」ができそうなくらい。ただこれに文句をつけちゃあいけないってもんだ。
はじめてココに泊まったであろうオネエチャンがぶつぶついいながら残している。
息子はうまいね、これ!なんてよろこんでパンをかじる。君、どーゆー育ちをしてんだい(笑)

閑古鳥シーズンらしく食堂にはぽつりぽつりとしか人はいなかったが、日本人の旅行者が思ったよりいたのは驚いた。みんな俺と息子の会話を横聞きしている。俺は食うことに集中しているし、特別彼らと話すこともないので話さない。

息子がカウンターにトレーを返しにいったらおばさんがご丁寧にゴミの分別をやってくれてた。ありがたいのだが、俺は息子にはこういうことは自分で考えてやらせる主義なのでちょっと歯痒かった。

食堂から出て、フロントのおやじにあいさつをした。いよいよ出発だ。

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やたら人慣れした看板猫が送ってくれた。息子が軽くじゃれつきながら猫にあいさつをした。

メルジェリーナの駅へ急いだ。休日らしく街は静かだ。
俺はまだ物足りなくて駅バールでカフェをずるっとすすった。美味い、世界一などとたわごとをいいながら。

さて、と踏ん切りをつけてビナーリオへと進んだ。きれいな駅とはいえ行き先表示が壊れていて「とんちんかん」だった、やはりナーポリだったと再確認した。
息子は行き先表示以外にも時計が全部違う時間をさしてることにいちいち驚いていた。時計などあってるわけねぇだろコノヤロ!と俺は笑う。

時計?

俺はなにか重大なことを気が付いて愕然とした。
メルジェリーナにカッセルタ行きの列車がくるわけなんかない。ここからチェントラーレにいかなければいけなかったのだ。
それがあるから、なるべく早い時間にここに来て安全策を練ろうと思っていたのだが。とんだお寝坊(おねぼけ)である。

あわてて「列車」地下鉄にかけこみ、チェントラーレに向かった。が時すでに遅し?否!ここはナーポリだ。俺はまだ可能性があると思っていた。
終点ガリバルディすなわちチェントラーレに到着。ここではいきなり通路で「検札」をやっていた。切符なしで乗っていた人たちが何人も何人もとっつかまって書類にサインを書かされている。すんごい光景だ。

ナーポリのことだから係員はこいつら全員ニセもので、そのうち警官隊がやってきて大騒ぎ。なんてドリフのコントみたいなことを想像してたのだが、残念ながらそうではないようだ。
罰金は80エウロくらいするらしい。

チェントラーレに着いたが、悲劇的にもすでにカッセルタに行く列車は「定刻どおり」に発車したらしい。なんてこった!

すぐさまインフォメーションにかけこんだ。
「あの、バーリ行きたいんすけど、次の列車って何時、どこ行きでしょうか?」
係員はいちいちオーバーにうなづきながら端末でしらべてくれた。
「12時半、カプーア行き。カッセルタ乗り換え。今日はこの時間の特急がないからロカーレでバーリにいくべし」
ロ、ロカーレ(鈍行)ですか?
脂汗がでる。
「いつ、バーリ着くんでしょうか?」
「6時くらいだ」

なんてこった!そのまま空港いって終わりじゃねぇか!
「おとな一枚こども一枚か?」
「もうしわけないです、時間、いただけますか?考えます」
「あいよ、またあとでね」

くらくらしてきた。昨日は思い切ってバーリからローマまでのヒコーキを予約してまでもバーリでの試合に行くことにこだわったのに。
ちなみにバーリのスタディオ・サン・ニコラでの試合開始は15時。バーリ発のヒコーキは19時発だ。試合に間に合わないはまだしろ、最悪ヒコーキに乗り遅れたらその先は未知の世界。さらに翌日はローマ・フィウミチーノから朝8時半のヒコーキで成田までかえらねばならぬ。ローマにはおそくとも7時にはいないと帰国すら危うい状態に!バーリからローマまでの他の交通手段は未知の世界である。

どうしよう。

このまま今日はナーポリの街を満喫して、観光などしてお茶をにごし、夜はそそくさとローマに移動して翌朝ひっそりと帰国するか。

そうするしかねぇのかなぁ、ちくしょう!

napolicentrale


いつのまにか駅からでて広場を歩いていた。ふいに、高速バスの切符売場があるのが目に入った。
これだ!
窓口にいる係のおばちゃんに単刀直入に聞いた。
「バーリ、いけますか?」
おばちゃんは横の案内板を指さしながら、申し訳なさそうに
「今日は休日だから、ノー」

ひざの力が抜ける。終わりだ。

しかし、ややはなれた場所に2階立ての大型バスが停まっていてお客をのせている。そのバスには「FOGGIA」とラベルがついているのが見える。めざとく俺はそれを指差して言った。
「じゃああのバス、のりたいのですが」
おばちゃんは今度は半分怒った顔で言った。
「あれは違う会社よ!あたしは知らないわ!乗りたかったらあそこいってきいてみたら!」

まあまあ・・・

とりあえずバスに近づいてみる。運ちゃんが銭勘定をしていた。別の兄ちゃんが荷物室のフタを閉めた。どうやら発車らしい。

俺はなんの考えもなく聞いた。
「まだ、乗れますか?」
運ちゃんはニコっとして「オーケー」した。機械からレシートを出して俺にみせた。
おとなとこども合計で15エウロ。

嘘だろ!安すぎる!

「お願いします」
かくして、俺と息子はこの大型バスで目指すバーリの近くに位置する街、フォッジァに向かうことになった。

ナーポリ・チェントラーレ駅前のキタナイ広場。遠目にはちょっとした高層ビルがいくつか見える。それはまるで川崎駅の風景のようだ。もちろん競輪場に向かう側の方だ(笑)

なんだかんだでバスはまだ客をのせている。なんとナーポリのウルトラらしき人間が乗り込んできているではないか!俺は安心した。
もしやと思って、上着を脱ぐついでに車内を見渡した。なんと周りにいる落ち着きのない連中はやはりナーポリのマフラーを巻いていた。

捨てる神あれば拾う神あり。

数分後、バスは広場から発車した。

「予期せぬ偶然と衝動的な行動」の繰り返し。俺のこの悪い習慣は昔っから変わらない。
息子よ、これを見てぜひとも反面教師にしてくれたまえ。

バスは悠然とナーポリの街を流す。俺の知らないナーポリの街の風景がいくつもいくつもあった。
まだいったことがないナーポリの中央卸売市場のわきを通る。休日なので無人状態だが、ミラノやローマのそれとはまったく比べものにならない程に設備が原始的で逆に感動した。

市場周辺からだんだん街の雰囲気が変わってきた。はっきり言えばスラム街。それは心の奥に突き刺さってくるようだ。このどうしようもない荒れ果て具合というかすさみ具合は何なんだろう。俺の知らないナーポリがまたあった。

napolimercato


アウトストラーダに入った。いっちょ前にテレパス(ETC)をするっと通過した。

ふと、考えた。
ナーポリからバーリへいくということ。俺は何か因縁めいたものを感じていた。というのは7年前にこの国を乞食のようにさまよっていた時、アドリア海沿いに南下してたどりついたのがバーリであった。
バーリでは盗難にあい、ほとんど持ち金がなくなったのでヒッチハイクを強行した。長距離トレーラーのおやじをとっつかまえて向かった先がナーポリなのだ。

高速は山間に入った。ももだのすももだの果樹が広がっていた。もちろんすべて落葉したあとの冬仕様であったが。まるで山梨の中央高速を走っているような風景だ。

後ろの方がなにやらざわめいている。耳をすますとなにやらクソだのカスだの、どうしようもなくキタナイ単語が連発。なんだろうと思ったらみんなして同じ街の名前を連呼している。
「アヴェリーノ」
そうか、アヴェリーノを通過してるんだ。下の方をみればほどほど大きな街が広がっている。案内板にはこの先アヴェリーノ・ノルド出口とある。

avellino


アヴェリーノというと伝え聞くところによればかつてナーポリと激しく憎しみあうデルビーをくりひろげた相手だ。今期はやつらもめでたくCからBに昇格。再び同じ土俵でお互いたたきあうことになっているのだ。
しかし今期はすでにアヴェリーノの地で一度対戦済み。で、その試合ではスタンドからナーポリのウルトラが落下死亡事故を起こしてしまい、騒ぎが収拾できずに没収試合(結果は0-3でナーポリの負けとされた)。
おまけにナーポリはこの件で5試合のカーサ開催を剥奪されたのだ(サン・パオロは使用禁止、しかも代替地で観客ナシ!)
まあそんなわけでナーポリにとってアヴェリーノは「くそったれな地」であるということだ。
まあ、アヴェリーノ側にとってはとんだとばっちりで気の毒なことこの上ない。

ゆるい坂をいくつも登っていく。段階的に山の高いところ高いところへと進んでいる。牧草地やらブロッコリ畑やらがだだっ広く丘一面にあった。なんとのどかな風景だろうか。
おどろいたのはところどころ丘の緑が「崩落」していることだ。雨続きの悪天候で畑が水に流されているのだ。野菜相場高騰の原因がここにあったのだ。
畑の規模も果てしなくでかいのだが土砂災害の規模も果てしなくでかい。自然は恐い。

たぶんここがてっぺんだよ、というところ。風力発電のプロペラがいくつもいくつもくるくると回っていた。三浦半島のそれよりも多かった。

途中、すんごい光景をみてしまった。数台のバスが武装した警官隊に止められている。お客がみんな車外にバンザイして整列している。なんと全員がナーポリのティフォジ!つまり危険人物一斉検問てことだ。

フオーリ・カーサ。

そこまでやるか、と思うのだがこの国ではあたりまえなんだろうなあ。
後ろのやかましい連中がそれを見てまた盛り上がる。もしもし?明日は我が身じゃねぇのか?
バスはいきなり高速を降りた。小さな工場の敷地に停車した。運ちゃんがもよおしたからなのか?と余計な心配をしたが、どうやらココはれっきとした停車場だったようだ。

お客は上の階にやってきた。
ここあいてるの?ここは?とやたら声がでかいおばちゃんが席を探す。そのよくしゃべることしゃべること。あなたたちどこから来たの?きょうはどこいくのよ?と奴らにも平気でしゃべりかける。その迫力に押されてか、ティフォジ達は沈黙。マンマにはからきし弱いという、ナポレターノの教科書どおりの習性に俺は苦笑する。

1月の南イタリア。晴れ空ということを差し引いても、暖い。あちこちで雑草の花が咲き乱れているのはそこそこの温度と十分な水分がある証拠だ。おそらくこのあたりは真夏の水分がない時期に地表が枯れてしまうのだろうか。

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山からだいぶ下ってきたようだ。オリーブ畑が広がってきた。見事である。
バスはまた高速を降りて次の停車場へと向かった。

急に胸が熱くなった。

バスが停まった場所(ガソリンスタンド併設のドライブイン)にあきらかに見覚えがあったからだ。
そこは、7年前に来た場所だったのだ。
当時のことをいくつもいくつも思い出した。

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当時、ヒッチハイクなるものをやった。
バーリのIC入り口で8時間立ちっぱなしで、夕方にやっと乗せてもらったのは荒井注にそっくりなカミオンのおやじ。

ビクビクしてた俺に、「めし食うぞ」と立ち寄った場所がまさにココだったのだ。

やたらと肩をくんでは人のポケットをまさぐる、いんちきくさいスタンド従業員とは「スキラッチ最高!」と盛り上がった。
「あいつ(カミオンの親父)はコレ(極道)だから気を付けろ!」と何度も頬に指をたてて脅かすバールの親父がいて、カフェとアーティチョークのリキュールをおごりで飲んだりした。
裏のリストランテではカミオン仲間と一緒にめしを食った。親父が「こいつは俺の息子、トーキョーの息子だ!」と自慢してくれた時はうれしくて涙がでた。

ココだったんだよなぁ。

俺はせめてドライブインをのぞこうと思った。が、バスはすぐに発車しそうだったので、俺はそのドライブインに立ち寄ることができなかった。
ほどなくバスは発車した。

そういえばカミオンの親父とは手紙を一度書いたきりで、電話をしても不通で連絡がとれなかった。もちろん親父から手紙がくることもなく。

俺がイタリア語を勉強するきっかけは、この親父にもっとちゃんとした返事がかけたらいいのに、という動機からなのだ。

この名前も位置もわからないドライブインについて長く長く感傷にひたっていると、まもなく街がみえてきた。フォッジァだ。

街に入る。さすがにナーポリとは違って整然とした街だ。
街の中心街に向かってきびきびっと角を曲がり、広場らしき場所のやや離れにビシッと停車した。
俺は時間をみてびっくりした。まだ12時台なのだ。

半分あきらめで、やけのやんぱちで飛び乗ったはずのバスが、ねぼけて乗り過ごした列車に勝ったのだ。

気分が妙によくなってきた。駅まで歩く道のりにはおもわず鼻歌がでてしまう。
駅についた。バーリ行きのロカーレはついぞさっきにいってしまったようだが、次には13時25分のIC677がある。バーリ到着は14時40分。いける!
フォッジァで約一時間待ちだ。
自動券売機でとっととキップを買った。

「ハラ、減った」
息子が言った。じゃ、街をぶらつきながら軽くメシとしよう。
駅からすこし街の中心まであるいた。が、休日ということもあり、ちゃんと食えそうな店はしまっている。じゃ駅前バールしかないねぇ、と息子に言うと「またピッツア?でもいいや!うまいし」
悪い、息子よ。たとえ駅前のB級ピッツアでも日本のどこよりもうまいから。

駅前バールは思いの他たくさんのメニューがあった。もちろん息子のお気に入りのマルゲリータもある(できあいのやつだが)。息子の腹にバカバカつめこむんだからと、せめて野菜だのプロシュットだのをパニーニに余計にはさんだ。さあ食え!

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テーブルがどうしようもなくキタナイ。キッチンペーパーでごしごしやってこぎれいにしたのだが、今度はそのテーブルの上で馬鹿食いをして汚す親子(笑)。でも食べおわったあとに親子でテーブルをごしごしごし。には周囲は引いていたような・・・、まあいいか。

まだ時間がある。また街の中心に行ってみた。さっきから気になっていたフェンスに囲われた空間は全部テニスコートだった。フットサルコートじゃないじゃんよ!と息子と悔しがる。

かつてはバーリとともにセリエAを多いにかき回したクラブ、フォッジア。現在はセリエC1。
たった駅前の周辺だけであるがカルチョの雰囲気が全くないのにはがっかりした。
さあ、戻るベえか。と引き返すそのとき、「それ」はあった。


napolicolera

NAPOLI COLERA

???
ナーポリ・コレラ。
地元民が発したメッセージ「ナーポリのコレラ野朗!」なのだろうか?
それともナーポリの悪い子が己の恐ろしさをココで知らしめるため書き殴った「ナーポリ・コレラ参上!」なのだろうか?

わからん。
が、ナーポリ-フォッジアの路線バスが存在する以上は両住民の交流があるのだから不自然では、ない。

嫌われ者ナーポリ。上等じゃないか。

駅に戻るとあと10分くらいで列車の来る時間になっていた。ちょうどよい。

列車が「定刻」に来た。
おばあちゃんが俺に「これバーリ?」と聞いてくる。
「この列車は、バーリ・チェントラーレに向かいます」と俺は丁寧に答えた。

おばあちゃんがふうふういいながら荷物を先に車内に、とおもったらその先から手がのびてくる。
「プレーゴ」
男がおばあちゃんの荷物をあげ、さらに手を差し伸べている。珍しい光景だ。

だぁ?

男はナーポリのマフラーを巻いていた!なんだよそりゃ!
気が付くと回りはナーポリのティフォジばかり。
うれしいやらなんやら。俺は自然と奮い立った。
車両の中でティフォジ達が俺を囲んでじろじろ見る。びびるどころか、俺は興奮して連中にこう言った。
「くそったれバーリ、栄光のナーポリ!」
連中がざわめいた。
さらに俺は続けた。
「今日、死ぬのは奴らだ。俺達は5-0で勝つ」
おいおい、こいつもイカれてんなぁ?とも言いたげに連中はうなりをあげる。喜んでる。
連中の一人、さっきおばあちゃんの手をひいた奴が握手してくる。それに続いていろんなやつが俺の肩をたたき、うれしそうな顔をする。
「席はあるかい?」
俺は相当舞い上がって連中に言った。連中はささっと席を2つ空けてくれた。

こんなんでいいんだろうか。
俺は自分の行動がはたして正しいのか疑問に思った。連中は見るからにヤバそうだ。ナーポリの街角でふらふらしている「仕事してねぇだろこいつ」という感じのタイプばっかり。ひょっとしたらクスリやってる奴もいるかもしらん。
子供連れの外国人でしかも旅行者。
コトが起きてから俺は息子を守れるだろうか?

もう遅いかもしれない。すでに15から20人くらいが俺の周りで盛り上がっている。みんな俺を見てなにかわめいている。
遠めの席でフツーの客が哀れそうにこっちを見ている。ああ!そんな目でみないで(笑)。

列車が動き出す。
1時間30分の「世界の車窓から・特別編」がスタートした。

背中に汗をかきながら、連中の興味が他にいってくれるコトを祈っていた。いくら好きなチームのファンとはいえ、これだけの数の「イッちゃってる」連中に注目されるというのはある意味予想外だった。
そんな状況の最中、息子が信じられないことを言い出した。

「オトー、花札で勝負しよう」
おい!
「たいくつだ」
正気かオメーは!

連中が見守る中、息子はささっと札を切り分けた。花札は成田からのヒコーキ以来だ。

案の定周辺に人垣ができる。それもすんげぇ人数。俺は勝負に集中できない。
連中が花札を見てざわめいている。
一人がたまらずにからんできたので俺はいちいち札を説明してさしあげる。
赤短、青短、字が書いてある短冊、etc・・・。
アカタン、アオタン・・・と連中がたどたどしく反復して言うのが可愛くもおかしい。
3本目の勝負が終わる頃、俺はくたくたになっていた。

不意に後方の通路ドアが開く。車掌だ!
やった!救いの神だ!と、へたれな俺は心の中でうれし泣き。
しかし、連中の存在に気が付くと車掌はそのままUターンしてしまった。
おい!

連中がからんできた。
「お前、キップいくらだった?」
「ふたりで14エウロ」
「フォッジアからバーリは検札なんかこないぜ、損したな」
「いや、俺たちは旅行者だから」
さっきまでいきがって「死ぬのは奴らだ」っていってた俺のセリフはなんだったんだろう(笑)。

遠めにアドリア海がみえた。相変わらず茶色だな、なんて7年前に途中下車して海で遊んだことを思い出す。

BARLETTAという駅に着いた。連中はここから急に窓をばんばんたたいたり、外に向かってマフラーを広げて歌を歌い始めた。バーリが近くなってきたからテンションがあがってるのだろうか?
俺は車内の様子が変化しているのに気づく。
良く話しかけてきた男がデッキに消える。それに続いてぞろぞろと連中がデッキに消える。

数分後、デッキの方からゴキ!バキ!と破壊音が聞こえる。一人の男が気勢をあげると全員がそれにつられて気勢をあげる。
ふらふらっとひとりの男がこっちにやってきた。何ごとなのか聞こうと思ったが、奴の目はすでに「イッて」いた。男は自分のマフラーを席から取ると、ごんごんごん!と打撃音が鳴り響くデッキの奥へと消えていった。
景気付けにクスリでもやってたんか???

ものすごい大音圧で歌が聞こえてくる。何曲も何曲も。車内にはもう俺らと数人の一般客しかいなかった。

バーリ・チェントラーレに到着。
うぁあああ!という掛け声で連中が車外へ飛び出し、こぶしを上げて行進をはじめた。
俺は興奮した。まるでナーポリのティフォジとして「殴り込み」に来た気分になった。
くそったれバーリ!栄光のナーポリ!
目を三角にして俺は連中の50m後ろから駅ののゲートに向かっていく。

青い壁があった。

bariaoikabe

「青い壁」がいっせいに連中を取り囲む。武装した機動隊だ。青いヘルメットをかぶった彼らは長い棒で連中の行く先をふさぎ、はみ出そうとした奴はかたっぱしから容赦なく棒で殴り倒している。

俺の「殴り込み」はここで終わってしまった。
俺はこの瞬間から「一般観光客」に戻ってしまった。駅員に丁寧に「どうぞどうぞこちらへ」と誘導され、俺と息子は違うゲートから駅の外にでた。
遠目には尋問されたり殴られたり、ケリをくらっているティフォジが見える。

フオーリ・カーサ。
ここはよそ様のおうち。

アッディーオ。楽しい一瞬をありがとう。

頭を切り替えて次のことを考える。
「ナポリ来襲」騒ぎの状態にバーリ駅前は騒然となっている。俺はロータリーをぶらぶらしながら、サン・ニコラ行きのバスを探した。運ちゃんにかたっぱしから聞いて回るのだが誰もが「しらね!」と不機嫌だ。
ふと、数台の同じ番号のバスが固まっている箇所があった。
「あのー、サン・ニコラこちらでよろしいでしょうか?」
運ちゃんたちは無表情だった。
「あのー」
無視。どうしたんだ?
「失礼ですが」
運ちゃん達の表情がこわばっているのがわかった。
一人の運ちゃんが来て、俺に向かって怒鳴った。
「おい!このバスは乗車不可だ!無理だ!」

えー?どうしたの?
とにかくこんな異常な状態に業務放棄か?

空気を読むのには少し時間がかかった。

荒れ狂うナーポリのティフォジのためにバスをしたてる段取りをしていたのだ、たぶん。
だとすれば、誰が行くかで相当現場はもめてたのかもしれない。
ご愁傷様(笑)。

すでに試合は始まっている時間らしい。とりあえず一服しようと、駅前バール「SAYONARA」に入ろうとするが、空いてるのだが中の電気が消えていて休業中。

これほどまでにカルチョは市民生活を変えるのか。うーんココだけか。観光客は困るな(笑)。

交通手段がないとなると、しかたない。
息子の手を引っ張って、俺はタクシー乗り場へと向かった。
プジョー307ワゴンのタクシーの運ちゃんは携帯をいじっていてこちらに気づかない。
俺はあせってたので問答無用にドアをたたいた。もちろん、コブシでだ。

どん!どん!

わあぁぁぁ!て言う顔で運ちゃんは驚いて姿勢を正した。
「スタディオまで、特上、急ぎ!できる?」と俺は急き立てた。
「急ぎ!オーケー!」
と、運ちゃんが言う前から俺はドアを空けて息子と乗りこむ。
プジョー307はバーリの駅ヨコのアンダーパスを抜けると、あきらかに無茶な速度で街中を疾走した。
特上、急ぎ。本当に実行するところが面白い。

不意に運ちゃんが話しかけてきた。
「アンタ達、日本から?」
「その通り、わかった?」
「カルチョが好きなの?」
「ああ、見るのもやるのも」
見覚えのある道だ。7年前インターチェンジに向かってさまよった道だ。
「息子サンはカルチョやってるの?」
息子がボールリュックを持ってるのを見逃してない。
「そうだ、2つのクラブで練習してる」
「それは、すごい!」
「FCトーキョーで練習してるんだ」
「FCトーキョー!ブラーボー!」
「知ってるのか?」
「知らないけど、ブラーボー!」
「アヴェリーノよりも強い」
「はははは!は!は!は!」
思いのほか、受けていた。
「8月にレアルマドリーとやった」
「本当か?すごいことだ、FCトーキョー」
イタリア人に向かってこんな会話が出来るとはおもわなんだ。とりあえず村林常務には感謝だ。
運ちゃんはぼそっと言った。
「じゃ、バーリにも勝てるな」
「え?どうかな」
一応、遠慮しといたつもりだ。
「バーリはダメだ」
さびしいことを言うなよおい!
ふと、ルームミラーにゼブラ(白黒)のストラップ(ヒモだかなんだかわからんが)がぶらぶらしてた。

ユベンチーノ。
これも南部の現実か。

どうしても気になったので、運ちゃんに聞いた。
「帰りはヒコーキなんだが、空港・・・なんてったけ?」
「パレーゼ」
「そう!パレーゼはスタディオからどのようにしていくのであるか?」
「行けない。バスはないぞ」
「駅までもどる必要あり?」
運ちゃんはしばらく黙っていた。

プジョー307は街を離れ、アウトストラーダへと向かうアクセス道路を突っ走っている。周りには延々と荒野のような風景が続いている。

7年前、ここを歩いた。つらい思い出の道だ。

「携帯もってるか」
運ちゃんは唐突に聞いてきた。
「ない。どうしてなのだ?」
「ココまで迎えに来るよ」
「いいのであるか?」
「じゃ、俺にかけてくれ。すぐに迎えにあがる」
メモ用紙とペンを渡した。
「番号」
運ちゃんはささっと書く。
スタディオに着いた。ゲートのそばまでつけてくれた。
「じゃ、試合終わったらここに来てくれ。俺は16時のはんぶん(30分)にはここに車を回す」
[了解した」
「電話、たのむな」
「わかった。アンタの名前は?」
「ドメーニコ!」
「・・・オーケー!」
「また会おう」

果たしてドメーニコにうまく再会できるだろうか。

試合ははじまっている。胸がドキドキする。
怒号と歓声が半分づつ聞こえる。

チケット売り場がある。このへんがメインだかバックだかわからんが、試合終了後にはうまく脱出できる位置にしたほうがいいみたいだ。

bari-napoli


ダフ屋のおじさんがさっきからこちらをチラチラみてはこちらと距離を計っている。俺はムシする。
チケット売場をのぞくと、ダフ屋のおじさんはがまんできなくたったのか「おまえ、俺から買え!」とまくしたてた。
俺から買え!・・・って、言い方あまりにもストレートなので驚いた。が、一応旅行中の身なので当日券を買わないと失礼だ。俺は急いでいるので目を三角にしておじさんに言った。
「俺はここで買いたいんだ!」
わけのわからんセリフだ(笑)。
おじさんは固まってしまった(笑)
とりあえずチケット売り場に顔を突っ込んで聞いた。
「このゲートに一番近い席」
係員はチケットを出して、20エウロと言った。
「2枚」
100エウロ札を突きつけ、お釣りとチケットを引っつかむと俺は息子を連れて駆け足で金網に囲われたゲートに入る。メインスタンドらしい。
警備員の数がやたらめったら多い。浦和レッズvsFC東京みたいだ(笑)。

チケットを見せる。とっとと入るように言われる。
中からは怒号とバクチクの音が聞こえてくる。
胸が高鳴る。気が付くと小走りになっていた。

スタンドに出た。目の前にはカルチョの世界が広がっていた。
やっぱり似てるな。まずそう思った。
トウキョウスタジアムが出来たとき、俺はこのサン・ニコラのことを連想してたからだ。
やっぱり似てる。スタンドの角度がややこっちの方が急で見やすいなぁ。と思う。

と、そのとき

stadiosannicora1


どかーん
花火が鳴る。ビビる。

どかーん
まただ。どちらのティフォジの仕業か不明。

どかーん
こんな花火どっからもってくるんだ?
どう考えても砲弾の音にしか聞こえない。
ただただ驚くばかりである。

どかーん
またかよ!しかしこれは爆竹というよりか江戸花火でいう三尺玉級の爆音だ。
さらに2Fスタンドを見てびびった。

サン・ニコラの2Fはまるで花びらのような形状している。その一枚一枚ごとがブロックになっているのだが、俺がみたのはその花びらの一枚に押し込められたナポリからのお客さん、つまりウルトラの連中であった。その数推定500人。そしてそのみごとな隔離のされっぷり。おびただしい数のダンマクには、「今日、死ぬ、うんぬん・・・」だの「地獄からの何トカ」だの、相変わらず極道なメッセージが並んでいる。「ブロンクス」というのもあった。なるほど、そーいうイメージもふりまいてるのだね。(笑)
出入り口には10人単位で機動隊がガードしている。というよりか誰も出ないように「蓋」をしているかのようだった。
おしっこしたくなったらどうすんだ。あ、やつらはトイレでするわけないか(笑)。

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クルヴァ・スッドの2Fにはバーリのウルトラが陣取る。
その数推定1500人。その怒号と暴れっぷリは立派に極悪なムードなんだがゲート旗に描かれたニワトリ(注:バーリのシンボル)のイラストがかわいかったりするので、ずっこけてしまう。
こんど「キンチョー」の登録商標を大伸ばしにして進呈してみよう。あのリアルさというか生々しさは迫力満点なので喜ぶだろう?
良く見るとゲート旗にまぎれて「日章旗」がたくさんあった。ペルージャもそうだが、赤白チームにはアレが似合うのが不思議だ。さすがに「君が代」入りの日の丸はなかったな。おっと!

ああそうだ、試合みなきゃ。
心の中ではナーポリを応援してるが俺はすでに一般観光客だ。おとなしくメインの1Fに収まった。
それにしても、寒い。南国バーリとはいえ、この場所はふきっさらしの荒野のど真ん中。屋根のおかげで日当たりも、ない。俺はコートの襟を立てた。
スタンドはがらがらだ。どうサバ読んでも5、6千人しか入っていないかもしらん。
そんな寒さはピッチにも充満していたようだ。バーリもナーポリもいまひとつぴりっとしない展開だ。現在の両チームの順位をそのまま表現してるようだ。
それにしてもナーポリ、引きすぎだ。情けない。どうみても相手は下にいるバーリだ。

フオーリ・カーサ

カルチョとはそういうものなのか。

ただ、そんな状況下にあって異質な動きをみせる男がいた。レナト・オリーヴェだ。
ナカータがペルージャに入ったときに仲良しだった奴、といえば思い出すであろうか。彼は今季、ナーポリ入りした。今日の彼は中盤の底だけでなく、センターバックのぽろりや右サイドになぜかできる「穴」を世話して回っている。本当に働き者だ。
とにかく、オリーヴェがせわしなく前に後ろにサイドにとよく動く。っていうか、他の選手は何を意図してあんなに引いて動かないのだろうか?

バーリは、それに輪をかけて動かない。カーサでこれは情けない。ドメーニコのことが目に浮かんだ。

カルチョの好きなところ。俺は「一瞬のカウンター」にそれを求めている。
たとえればそれは獣の格闘。お互い、にらみあって動かない。動けない。動くと「スキ」ができる。動くときは一瞬で相手の急所をつかなければいけない。つまり少ないタッチ数でゴールネットをゆする。その「間」はチャンバラのクライマックスにも通じるのだ。桃太郎侍が大好きな俺はそういう傾向がある。

一撃必殺のアート。失敗は死。

ただ、今日のこのサン・ニコラにはそういう「ぎりぎりの殺気」も足りない。どうしたことだろう。

だから、オリーヴェなのである。頼む、なんとかしてくれ。

時間だけが過ぎていく。

前半終了、0-0。(俺がみてる間は)
電光掲示板は何も表示してなかった。

どちらかに点がはいっていればクルヴァの盛り上がり方もちがったろうが、なんだか両方とも冷めていたように感じるのだ。だから0-0だろうなぁ。

あいかわらず、寒い。
もつ煮込みとか、あまざけとかあればいいなぁ、と思った。

ふと、記憶のかなた、90年大会のことを思い出した。たしかここ、サン・ニコラは3位決定戦に回った開催国イタリアとイングランドが対戦した地である。あの独特な「花びら」型のスタンドを雑誌にみかけるたびに、すんげぇなぁ-って思ってたもんだ。
そもそもあの大会については、イタリアvsアルゼンチンが行われたナーポリのスタディオ・サン・パオロにかなり強い印象が残っているが。

さて、しみじみしている間に後半が始まるようだ。息子は寒い寒いとぐちをこぼしていたが、リザーブ選手のボール回しをみてへぇー、っと感心していた。
どかーん
また花火である。こんどは両クルヴァもヒートアップしてきた。

一瞬、耳を疑った。ナーポリのティフォジが「バーリ、###」とコールしている。なんだろう?なかなか聞き取れない。
それに呼応して、バーリのティフォジが応えている。
「ナポレターニ、XXX~」

よく聞き取れない。

臭い?
芥(ゴミ)?

懸命にヒアリングするが、わからない。
おまけに

蓋?

わかんねぇよ(笑)。
それにしてもすごい音量である。あの人数しかいないのに、満員御礼の仙台スタジアムをはるかにしのぐ音量である。それは単純に「ボリューム」でなく、むしろ人の聴覚にいちばん響く周波数、そして震動をともなった「音圧」といった方があてはまるだろう。
久しぶりだなぁ。埼玉スタジアムでトゥルキエのおやじ達の後方にいたときに感じた「音圧」以来だ。

全員が男。全員がハラに力をいれての声。
「ナポレターニ、XXX~」がますますヒートアップしてきた。

ナーポリのティフォジは人数分音圧にまけてしまっているが、発煙筒をぼんぼん焚き「花びら」を紅く染めていく。
俺も心の中が熱くなった。メインとはいえ親父の怒号に囲まれている以上、ただの観光客をしてなければならないのがチトつらいが。

sannicora3

sannicora4

後半開始だ。
ナーポリが目が覚めたようにかなりとばしてきている。全体的に前に人数をかけて明らかに「1点狙い」にいっている。
相変わらず「引き」モードのバーリの両サイドのスペースに深くはいってから中央にボールをあてるという新しい攻撃パターンがはまる。
決定機が訪れるたびに、俺のいるメインの観客が天をみあげてため息をつく。しかし肝心なところでポロリ、ポロリ。フィニッシュが全然ダメだ。
というかこれはバーリの作戦かもしれない。
ちっとも真ん中にボールがはいらなくなるとみるや、ナーポリの中で何かリズムが狂いはじめた。
引いてばっかりだったバーリだが、ときおり前がかりのナーポリの間延びしたDFラインの前をねらってボールをいれてくるようになってくる。
狙いどおり。バーリのアタッカーが右に左に流れていく。センターバックのクリアボールが「ちょうどよいかんじ」に前線のオープンスペースに流れていく。それは意図してやったものかはわからんが。
あわてるナーポリ。ただ一人ぽっかりスペースを埋めるために奔走していたレナト・オリーヴェがしきりに味方にどなりつけてシメていこうという様子だった。

ジコはそのとき起きた。

サイドに流れたボールを競りにいったオリーヴェの当たりが強すぎ、相手を倒してしまう。このプレーにたいしてなんと一発レッド!

サン・ニコラに通りすぎる一瞬の間。
直後、メインもバックも、まるで点がはいったかのような大歓声の嵐。ナーポリのクルヴァからはギャオギャオと怒号が聞こえた。発煙筒が何本も何本も投げ込まれる。
あっちゃ~。

ナーポリはどう動くか、俺はベンチの判断を冷静にみていた。リスクを負っても攻撃にでるか、それとも勝ち点1キープで終わるか。

だめだ。ナーポリは完全に後者をとる。


この時点で俺は考えた。もうどちらにも点が入る気配はない。

メイン周辺がそわそわしている。
家族連れが何組か席を立った。
いよいよ脱出の必要ありか。

モノ悲しくも、しかたない。
うす暗くなりかけたスタディオとおさらばだ。

ふいにまたドメーニコのことが頭に浮かんだ。
あいつ、ちゃんと約束守れるかなぁ?

16時40分。
意を決して席を立つ。
さよなら、サン・ニコラ。
さよなら、カルチョ。

階段を降りる。また薄暗くなっている。
金網のゲートを抜け、駐車場に向かう。

sannicora5


不意にぷっ、とホーンが呼ぶ。
「ドメーニコ!」俺は叫んだ。
ちゃんと待っててくれたんだ。
息子をささっとのせ、俺もするっと乗りこむ。

「どうだ?」
「ゴール見れなかった」
「残念だね」
「でも、いいんだ」
「このまま日本に帰るのか?」
「いや、明日の早朝にフィウミチーノからだ」
「今日はローマ?」
「その通り」

ドメーニコは120kmですいすいと空港へ向かっていった。特上、急ぎのサービス継続中。

南イタリア・プーリアの夕暮れ。
地平線が影絵のようで心にきゅんときた。

10分少々で空港に着いた。早い。
20エウロ。高いような気もしたが「特上・急ぎ」のサービスに「送迎」がはいっているんだから、日本のタクシーよりは確実に安い。
いい仕事してる。

「また、おいでよ」
「こんどはゆっくりくるよ」
「そのときは電話してくれ」
「あ!そうだね・・・」
俺はメモ紙を見なおして、言った。
ほんと、いい仕事するね。

ドメーニコと別れ、俺と息子はバーリ・パレーゼ空港に入った。
思わず笑った。

小さい。

マルタ・ルア国際空港の3分の1しかない。

人がものすごくいた。大混雑だ。
そのほとんどが家族連れであった。子供が多い。
今日は祝日だから、里帰りしたのだろうか。
お見送りらしいおじいちゃんおばあちゃんもたくさんいる。

空港の端から橋まで歩く。あっという間だ。
どうやら東洋人は俺達だけのようだ。やたらジロジロ見られる。
田舎だしなぁ。どうもどうも(笑)。

20分ほど並んでようやくチェックインできた。
出発が遅れます、とご丁寧に言われる。
そうかぁ。

ハラが減ったのでくいものを、と思ったがメシ屋はすでに閉店している。一軒しかないバールは大混雑で、食い物など残りわずかしかない。
息子の食うパニーニを買うのがやっとだった。

ゲートに入る。
確かに、ヒコーキは遅れるようだった。
搭乗ロビーにはちゃんとしたみやげやがあった。そうだ、ココで買い物しよう。
息子にはココで友達への土産を買うように言った。俺はお世話になってる上司にネクタイを買い、大家さんにはプーリア名物のオレッキエッテのパスタのセット一式を買った。アズーロの工場には現地のスクーターの雑誌とカルチョの雑誌を買った。アズーロ社長の息子クンには日本ではまだないFIAT・PUNTO最新型のミニカーを買った。
店員ははじめ東洋人を見て眉をひそめていたが、バカバカと買い物するうちにやたらうれしそうな顔になっていった。
なんたって俺は今しか買い物できない状態なんで仕方ない。一点集中主義(笑)。
70エウロも買い物してしまった。

地方空港の国内線。待合ロビーがすごく生活臭い。マルタどころではない。
たくさんの家族連れ。みんな実家からローマ
なりミラノなりの都会に戻るのだろうか。

外はまったく暗くなっている。
7時フライト予定のヒコーキは7時30分になったみたいだ、と隣の夫婦が話していた。

ローマに着くのは9時くらいかなぁ。

やがて、ヒコーキへと案内される。
たくさんの家族連れが小さいヒコーキに乗りこむ。
息子は寝てるんだか起きてるんだかわからないような顔をしている。眠いのだろう。

ヒコーキが離陸体制に入る。
時は7時45分。
夜のフライト、フィウミチーノまで。

バーリも結構好きな街なんだけどなぁ、ちゃんと街に行けなくて残念だ。と、思った。
まあ、いいや。またの機会だ。

ヒコーキはそそくさと離陸した。
息子は寝てしまった。


(2004/1/6)

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(再)日々是運動・ヴァカンス特別編⑦ナーポリへ

ナーポリへ


1月5日


なんか目がさめた。
時は午前5時。予定より早い。
あまりにも時間に正確なきちんとしたカラダだ。
こういうきちんとしたカラダを普段の仕事にも活かせないものかととりあえず嘆く。
30分位経ったのちに息子がぱきっと起きる。オメーもだ、活かせ(笑)。

今日はマルタを出発して、ローマ経由でナーポリまで行かねばならぬ。乗り物に乗る時間が多い日だ。

外は暗い。下を見ると石畳に街灯がそっくり溶けだしているようだった。と、いうことは地面がぬれている?

ぐわーん、と一回だけ鐘がなった。

洗顔、ヒゲソリ、着替え、持ち物整理、とてきぱきとこなす。
事情があって荷物は最小単位なのでこのへんは早い。
服なんぞほとんど用意する気もなかった。下着が2日ぶんだけだ。こういうわけで親子とも若干臭い(笑)。やばいときは現地で買えばよいからだ。まだ買ってもいないが。

こどもが女の子だったらこんな旅はできないだろうなあ。としみじみ思う。

ぐわーん、ともう一発鐘が鳴った。俺は息子に,、ちゃんとおじいちゃんとおばあちゃんにあいさつするように言った。ぐっもーにん、てな。

空がなかなか明るくならない。星も月も見えない。
階段をおりる。まだ早いのにばたばたと人の出入りがあるみたいで騒がしい。わからんマルタ語が飛びかっている。パンの焼けるにおいがしてくる。

ぐっもーにん。

息子はまた手招きされて食堂へ向かった。さっさと荷物をおいて自分の席をきめると「オトー、座んなよ」
まったくコノガキは。どこにいってもメシ食う段取りだけはきちんとわかってる。

今日はおじいさんがいろいろもってきてくれる。ついでにいろいろと話をした。
「日本はいいんだよ、俺は好きなんだ。車も携帯電話も日本がナンバーワンさ!イタリアもアメリカも好きじゃないんだ。」
ちょっとうれしかった。いろいろと俺もヘタクソエーゴで返す。ヴァレッタは本当にいいところですね。と。

外はどしゃぶりだった。イングリッシュティーをがぶがぶとのみながら、息子は遠くを見ていた。ねこでもさがしているのか。

それにしても雨、かなりの量である。
風はあいかわらず吹き続けている。マルタにきてからはずっと風が吹き続けているような気がするのだが。

食べおわらぬうちに、おかわりは?と聞かれた。この先の道中のことを考え、少し多めにたべておいた。イングリッシュティーをまたがぶがぶと飲んだ。

今日は月曜である。なんとなく街の雰囲気が昨日と違って「動いている」感じがした。
息子に傘をだすように言うと、俺はおじいさんおばあちゃんにたくさんのお礼のことばをヘタクソエーゴで伝えた。今度またきてね、というような言葉を言われた(がさっぱり理解できない)。
ありがとう。

俺はおばあちゃんに日本からこっそりもってきた「枯露柿」を全部あげた。歯がまだ丈夫なのかな?て心配もしたが。おばあちゃんは大事そうにしまう。

意を決して、立ち上がる。ざあざあざあと窓の外には雨しずくが見えた。
息子はコーモリ傘を、俺はコートのフードをしっかりかぶり宿を後にした。
雨は中からみたよりも細くやわらかく、ずぶぬれはまぬがれそうだった。石段の方からはだばだばと水があちこちから流れて走っていた。
ふと見ると、石段のわきっちょには「ねこえさ」の台がセットしてある。近所の家で外ねこの面倒をみているのだろうか。

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バスターミナルに着いた。くる時に乗った路線バスの番号を忘れた忘れたとぼやいた。そしたら息子がしっかり覚えていて、教えてくれた。何のとまどいもなくバスにのりこむ。よしよし。

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さっきからゲルマンチックなおばちゃんグループがバスターミナルのそこらでまごついている。運ちゃんはなんだかなあ、という顔で「エーアボルトッ!」と怒鳴っておばちゃんを呼んだ。案の定おばちゃん達は駆け込んできた。おばちゃんが乗るやいなやバスは走りだした。

国際空港行きのバスとはいえ路線バスなので乗客は生活感まるだしだ。当たり前だが。

バスは朝の通勤ラッシュの中、観光モードではないマルタのごく普通の街をすりぬけすりぬけ、空港へと向かっていく。否?乗客のほとんどは空港なぞ用事がないので「空港に向かっていく」という感じでもなく、「空港へとちょっと立ち寄る」くらいの感覚が正しいかもしらん。
空港へついた。ゲルマンチックなおばちゃん達がどかどかとおりたあとにそそくさと俺と息子がおりた。
不意に運ちゃんは息子に向かって何かいいながら笑顔で手を振った。

「バイ・バイ!」

・・・グッド・ホスピタリティ。

この運ちゃんはおばちゃんに怒鳴ったり、渋滞にいらいらしたりと、どちらかといえば気難しいタイプで恐縮してたのだが。

ありがとう運ちゃん。マルタでの〆はいい気分だ。

雨のルア国際空港。
カウンターにたどりついたら、もう出発まで30分。ヤバイ!あせる。
幸いエアー・マルタのカウンターには5、6人しかならんでない。よかった、大丈夫。と思ったのもつかの間。どこかでみたようなOLの三人組が並ぶのに疲れてギャーギャーわめきちらして前のカウンターにちょっかいをだしている。話す言葉はやはりコテコテのイタリア語だ。
やれやれ、といった感じで別の業務中の職員が臨時にカウンターをあけて対応。本当にやれやれだ。やっと俺の番に。

もう出発ですよね、すんませーん!

と俺はヘタクソエーゴでチケットをみせながら謝る。職員は怒りも笑いもせずにとっととチェックをすませた。

怒濤のように出国手続きをすませる。しかし俺はここで余裕をぶっかまして免税店を覗く(笑)
ふと、目の前にユニフォームがぶらさがっている。おおなんと奇遇な(笑)

手元に残ったマルタリラ推定4000円弱はローマではたぶん両替不可だ。俺は朝の市場の現場以来、ひさびさに秒単位の買い物に勝負をかけた。

俺が狙っているのはマルタ・プレミアリーグのユニフォーム。日本ならどこでも買えるようになったインテルやらマドリーやらを超高速でめくりめくりその先のブツを探す!
おお!ヴァレッタがあるではないか!しかし大人サイズしかない。あとはサイズだ。
息子と着回しできるように(どうせ息子はすぐ大きくなる)唯一のMをひっつかんだ。

勝負は負けだ。追金は10ユーロ。「飛び込み(=高いものを買わされてしまう)」だ。まあ仕方なし。

買い物終了後、ゲートには無線機を持った職員がこちらをみて笑ってる。ヤバイ!
どうやらゲートからは俺らが最後らしい。
すいませーん!
職員は別になんの注意もなくチケットをもぎった。

バスに乗り、ヒコーキへ。
風がびゅーびゅー吹いていて寒い。
小さい機体に乗客を一杯積めこむので、俺らが着いてもまだタラップに行列が続いた。

ふと、大荷物を持った東洋人の一団。それもかなりご年配の夫婦ばかり。みんな「いい感じ」の夫婦ばかりである。俺はごく自然に声がでた。
「ご旅行ですね」
おじさんはこちらをみてビックリしたが、丁寧な言葉使いで答えてくれた。@@ツーリストのパックツアーだというので俺は驚いた。マルタに来て一回も東洋人を見なかったのでまさかこの国がツアーのコースになってるとは知らなかった。まあそうか。
いいかんじのご夫婦が行くにはちょうどいいところかもしれない。

機内にのりこんだ。パックツアーの方々は全員前の方の「プリマクラッセ」だった。俺はなんとエコノミーの前列(といってもプリマからカーテン隔てた3列後ろだ)で、やはり行きとおなじく息子とは通路をはさんで座ることになる。
チェックでごねていた「おこちゃま」なイタリアーナOL3人組は俺の前の列だった。手荷物はあちこち転がすわ、しゃべくりだしちゃあどかどか前の席をけっとばすわ、やりたい放題。
その会話で前のジャポネがくさいだのどうしただこうしただのイタイ会話をしている。前のおじちゃんが聞いてないこと(イタリア語がわからんこと)を祈った。なまじ会話がわかるのが少々つらかったが、回りのお客もあからさまにプリマに落ち着いたジャポネを「異質」に感じている様子は読めた。
ただ、荷物が多いのと機内サービスの手間隙を考えたらジャポネのツアーはプリマにまとめておかないと手間なのだろうというエアーマルタと@@ツーリストの気配りだろう。

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ヒコーキが動き出す。
いよいよマルタともおさらばだ。

離陸してから右側をみる。
マルタがどんどん小さくなっていく。島の様子が手に取るようにわかる。
「ヴァレッタだ」
息子がつぶやいた。

15分もしないうちにベルトのサインが消える。早くねぇか?まだ機内はがたがたふらふらしているのに。
まあ1時間ちょいのフライトなので(ミラノからは2時間だった)時間配分的にはいいのか。
おしっこがまんしてたので最後尾のおといれに歩いていく。みごとなる満席。全員にジロジロ見られるのもなんか普通になってきた。

あっというまにヒコーキはローマに着いた.
機内アナウンスでは雨模様といってたのだが、レオナルド・ダ・ヴィンチ空港は曇りだった。路面はぬれていた。

俺と息子はそそくさと降りた。
離れにあるCターミナルからひたすら進む。
俺は息子に言った。
「おい、ここからは気をつけろよ」
「え?」
「ミラノとか、マルタとは別の世界だ」
「そうなの?」
「俺から見えるところ歩けよ」
「うん」

ダヴィンチ空港にはいろんな人種の人間がいた。7年前と同じ光景だったので別に驚きはしなかったが、息子は人の多さに戸惑っていた。

入国審査がやたらめったら詰まっていた。非EUのチェックゲートにはぱっと数えて300人は並んでた。うんざりするほど多い。
あまりにもひとりひとりのチェックがおそいんで、なんか事件のニオイ?と思ったが、お昼時である。メシ食いに行った職員の分ゲートが閉まってたのだ。このへんは「お役所しごと」。

俺はロシア人の大家族の後ろについた。家族単位の審査ならたぶん通過時間は早いと勝手に推測。
さすがに東洋人とアラブ人の後ろは時間が食いそうなので外した。自分が東洋人で言うのも間抜けだが、こういう場所はアジアやアラブの人間には敷居が高い。どうしようもないこれがヨーロッパの現実なのだ。

息子をおどかす。
「お前、エーゴかイタリア語で自分の名前言えたっけか?」
「うーん駄目だよわからないよ」
「やべーなぁ、審査はひとりづつだべよ」
「やばい!どうしよう!」

審査はあっけなかった。「あれ、息子です」と指差す。審査官が強面のまま息子を手招きして、それに息子がガチガチになって反応する姿に笑う。何か言おうと「えー、えー」なんていうのがかわいかった。息子の話など聞いちゃいない審査官は問答無用にパスポートチェックを完了した。
息子のやった!という表情がおかしかった。

さて、再入国がすんだところでやらねばいかぬことがひとつある。
今日はナーポリに直行するとして問題は明日の移動手段。

明日はセリエB開催日なのだがナーポリはフオーリカーサ(アウェィ)でしかも開催地がバーリのサン・ニコラなのだ。時間は15時。
そして翌日は朝8時のヒコーキでココ、ダヴィンチ空港から成田まで帰らねばならぬ。
つまり、明日あさってはバーリから朝7時ごろまでにはローマまで戻らねばならぬのだ。厳しい。

バーリからローマまでは鉄道で6時間はかかるので、試合が終わったらすぐにローマに戻る列車に乗らなければならない。しかし当日は夜の列車の接続がなく、夜行の特急でローマ・テルミニ到着でも7時30分を過ぎるのだ。厳しい!

ヒコーキしかない。

と、いうわけでヒコーキの接続を確かめてなおかつ予約しなければならぬ。
とにかくヒマなぞない。アリタリアのチケットカウンターで聞いてみることにした。

「えーえー、失礼します。あさっての朝のこのヒコーキ(チケット見せる)でトーキョーにかえるんですが、明日は一日バーリにいるんです。乗り換え間に合うヒコーキありますか?」

受付のあんちゃんはどれ?と俺の成田行きのチケットの時間を見た。
そしておもむろにPCにかちんこっちんとやると、両手を上げて
「ない」
えええっ?何故に?
「満席」
じゃ、どうしよう!俺はすぐに「じゃ、明日は夜何時の便が残ってまっか?」と聞く。
あんちゃんはすぐさま
「7時」
試合終了後2時間。ぎりぎりだ。
チェックの時間期限は夕方6時か、大丈夫か?

・・・・・。

大丈夫。

そう自分にハッパをかけ、あんちゃんに告げる。
「大人1枚、子供1枚」

あんちゃんはコレでもかってくらい迅速な作業で発券した。ふたりで250エウロくらいだ。高い!さすが正規運賃。
しかし時間のリスク回避はしすぎる位しといていいのかもしれない。南部はナニが起こるかわかったもんじゃないからだ。

息子に水を買い、てくてく空港駅へと進んだ。
ナーポリまでのキップを買う。ナーポリメルジェリッナまでおとな1枚子供1枚、セコンダ。とささっと告げる。そうすると自動的に一番早い列車を選んでくれるのだ。
キップを見るとテルミニ乗り換えでテルミニで20分待ち。時間もちょうどよい接続だ。
しばらくしてレオナルドエキスプレスがやってくる。俺は息子と乗りこむ。

しばらくして、やや乗客もいっぱいのレオナルド・エキスプレスはするっと動き出した。

車内にはいろいろな言語が飛び交っていた。そのすべてを理解するのは無理だが、前後の人達のイタリア語を流し聞くとそのほとんどは海外旅行の帰りであるらしくかった。寒かったの雪がどうしたのこうしたのだとか、文句が多い。

街が「大きく」なっていく。大都会、ローマの雰囲気が出てくる。
ときおり息子が風景を見ながら「おぉー」とか「へぇー」とか声をだしている。息子の視線の先には水道橋が長く長く続いていた。テルミニが近いのか。

あっと思う間にもうテルミニだ。とてつもなく「離れ」のビナーリオ(プラットホーム)に到着した。そのはなれっぷり、高崎駅での八高線と同じ扱いである。長い距離をあるかせること。歩かせるといえば東京駅での京葉線よりはずいぶんマシなのだが。
7年前、ここに初めて降り立ったのは夜11時頃だったかなぁなんて思い出す。

テルミニは終着駅という意味らしい。ここは通過駅でなくすべての列車がいったんここにガン首をそろえるように一列に停まるのだ。その数は約20本。壮観である。
息子が「なんてローマってでかいんだ!」とおどろく。確かに。こいつはせいぜい立川と八王子くらいしか知らない。

さて。ローマはここまでだ。パニーニを買ったらとっとと違うビナーリオに移動する。

切符をちゃんとみてなかったのと、ただのICかと思ってたのとでとんだ赤っ恥をかいてしまう。というのはセコンダクラッセの席の空いてるところにどかどか乗りこんだあげく「ここは空いてるでしょうか?」などとわかったように聞いて、どかっと腰を降ろすと「あんたの席じゃないの!ちがうの?」とおばちゃんに怒られてしまったのだ。
今度はうしろから紳士が「全部予約席だぞおい」なんて言う。
あれぇ?
とりあえず切符を確認すると、はじっこにちゃんと号数と席番が。およびでないね、こらまた失礼(笑)
丁寧にお礼をいうと付近は爆笑の渦。

あらためて正しい号車へいく。兵役の中休みらしき若者どもが占拠したどまんなかが俺らの座席だった。

7年前と勝手が違うのは指定席のしくみだけではない。いわゆる「コンパートメント」がなく、2×2で真ん中通路という席割りなのだ(いちおう向かい合わせのボックス型だが)。
小田急ロマンスカーとなんら変わりない。

席番号を確認すると、自分の位置になぜか女がすわっている。なんだ?と思ったが、まあいちいち定位置守らなくても平気だろうとタカをくくってそのままでいた。
今度は兵役帰りっぽいオニーチャンの一団がどかどかとやってきた。パオロ・カンナバーロに似たオニーチャンが俺に向かって「そこ、あんたの席?」と聞いてきた。はいはい、これみてヨ!と切符を見せると納得・・・しなかった。もう一人の男の席がないみたいだ。
「あんれーおかしいねぇー?」と言うと急に女が席を立って疾風のごとく消えていった。
俺とカンナバーロが一緒に「なんだ?」のリアクションで苦笑い。もうひとりの男も安心顔で俺の向かいに座る。

車両は満席になったみたいだ。息子がパニーニに懸命にかぶりつく。落ち着いてメシ食う時間もなくてスマン。

列車が動きだす。15分もするともう田舎風景に変わる。
みごとな「ぶどうの丘」にさしかかった時に「ビリエットゥ、プレーゴ(切符みせやがれ)」と車掌がまわってきた。
車内でげらげらとしゃべくり騒いでいる連中もこの時ばかりは神妙だ。昔ぱくられて懲りたクチか?

連中が再びにぎやかになる。通路をはさんだ向こうのボックスにも仲間がいてこれまたやかましい。けど会話に嫌味を感じない。
連中の会話はテンポよく、自分のオンナの話、カルチョの話(カッサーノが使える使えないどうたらこうたら)、車の話、なぜかニワトリの話?を終わりなくベラベラと議論している。ニワトリは抜きにしてしゃべくる内容はどこの国も会話はまるで同じだ。

向かい側ではトランプともなんともいえぬカード遊びが始まる。周りがいちいち首をつっこんで茶化している。みていてもさっぱりわからんが。

そのうち誰かがバッグからおもむろに「MAX」を取り出す。表紙はアレナちゃんのおっぱい写真だ。おいおい。ちなみに「MAX」は日本でいう「週刊プレーボーイ」だ。おっぱい以外にカルチョやら時事問題やらも載っている。
となりのカンナバーロ君も一緒ににやけながらみている。男子寮じゃねえんだよココは!

息子はまだパニーニと格闘していて目の前に気が付かないので幸い。まあみたところで何のとまどいもないだろうが。

「MAX」が連中の間をいったりきたり旅している。このオンナどうだよオメー!なんて盛り上がっている。カルチョのページではカッサーノ一辺倒。リバウドがダメダメだという話もでてくる。

ふとカンナバーロ君と目が合った。俺が会話に苦笑するのに気が付いた?のだろうか。それともチラチラ覗く俺を見てなにか言いたかったのだろうか?連中も急に俺に注目する。
俺はさらっと言った

「こいつ(息子)が寝てないからそれを貸せとはいえないんだ」

大爆笑。となりの連中もつられて大爆笑。
ちょうど同じくして、車内アナウンスが流れている。
連中のげらげら声でわからなかった。

ヤバイ!ナポリ・メルジェリーナへ停まる途中の駅がいくつあるかを押さえておくのを怠ってたので困った。
なので連中に「次どこよ?」と聞いた。連中もよくわかってないらしく(ふだん列車はのらないのか?)、連中同士で違うべ!バカ!このナポレターノが!とののしりあってる。本当に馬鹿だ。

このナポレターノが!・・・ってネタにすること自体面白い。

ふと前にいた紳士が「ナーポリ・カンピフレグレイ、ナーポリ・メルジェリーナ、ナーポリ・チエントラーレ!」とおしえてくれる。

おせっかい気質もまた面白い。

列車はカンピフレグレイで少しの乗客を降ろし、メルジェリーナへと急ぐ。

俺は荷物を持つととっととデッキに向かう。オニイチャン達にありがとうを言おうとするが、連中もメルジェリーナで降りようと荷物をまとめていた。

メルジェリーナ到着。
連中も俺も息子もぴょん!とねこいぬのように降りる。
連中のうちのひとりが「ヘイ!」と息子を呼びつける。なにかなと思ったら息子の帽子をもっていた。息子が席に忘れたのだ。
いいやつだ。礼をいい、「この馬鹿ものめ!」と息子に軽く馬場チョップをかますと連中は受けていた。

今度は、「スィニョーレ!」とオバサンに呼びつけられる。びっくりしてたら、荷物!荷物!持って!持って!とせがまれる。どうやってこんなの持ってきたんだ?てくらいバカ重いナイロンの「買い物袋」の片方を持たされる。おばさんと一緒にホームを進むと、前方から男がやって来て俺にしきりに礼を言う。「息子、来たからもういいのよ」とオバサンは礼も言わずに今度はその息子と片方ずつ「買い物袋」を持つと、階段を降りて去っていた。

大好きなメルジェリーナの駅舎。ちっとも変わってなくてうれしかった。
キタナイナーポリの街にあって、しっとりと落ち着いた駅舎の雰囲気がなんとなく気に入ってるのだ。
駅舎で翌日の列車の時間を見るが、バーリ行きの列車がない。しかたなくキップ売り場の駅員に聞くととんでもない答えが返ってきた。
「バーリ?明日は休日だからカッセルタ乗り換えで4~5時間見とけ」
え?地図で見ると近いのに・・・。
「バーリに昼頃着くにはどの列車がいのでしょう」
と聞くと、端末で調べてくれた。
「8時くらいのやつだ」
はあ。
「バーリ2時半くらいに着く」
うーむそんなに遠いのか、それとも列車の本数がないのか?

駅員サンに礼をいい、翌日は早起きだなぁと気合を入れる。

今日のねぐらは「ostello mergellina」である。いわゆるユースホステル。この旅では唯一事前に予約を入れておいたところである。
ココに決めたのは値段もあるが、駅からすぐのところにある気楽さもある。

駅から出るとすでに街はキタナく、割れたビンやらいぬのウンコやらがごろごろところがっている。車はブーブークラクションを鳴らせ続け、スクーターは信号お構いナシにどばどばと数10台と駆け抜けていく。

ナーポリだなぁ。

海臭い。
ちょっと高台にあるオステロには、駅から一度トンネルをくぐって坂道をあがって行くのだ。
坂の上から、駅のホームと港のほうが一望できるこのアングルも好きなのだ。

さて、カウンターに入るとする。
「ちわー。トーキョーからきました。」
「ああ、予約した?」
「Eメールで」
「してたっけ?」
もう、これである。しかし、1ヶ月も前のことだし料金だって払ってない。でも思いっきり閑古鳥シーズンなので満室の心配などない。

係はおもむろにシーツとカギをよこした。俺と息子はシーツを抱えながら部屋に向かった。
「これ、なに?」
「ふとんカバーだ。合宿みたいだろ」
「ふーん」
部屋に入る。2段ベットに息子がおどろく。
ユースといえど個室でドッチャ(シャワー)付きである。二人で一晩30エウロくらいであるのでまあ安いといえば安い。

重い荷物を部屋に残し、すぐさまナーポリの街へと繰り出した。

夕暮れ押し迫っていたが、多少は明るくて安心だったのでぐるぐるとメルジェリーナ周辺をうろつく。
7年前にメシを食った食堂は「CHIUSO」だった。しかたなく海っぺりに出てメシ屋を探すが、どこも空いてない。明日が祭日なんでもうとっとと終わりにしてるのだろうか?
しけてるなぁ。

mergelina1


mergelina2


仕方ないので、地下鉄に乗りチェントロへと行く事にした。
地下鉄っていっても、メルジェリーナの駅の同じビナーリオから乗るうえに車両もフツーの列車の車両みたいなので一見地下鉄には見えない。
何駅か揺られ、ピアッツァ・カブールでテキトーに降りてみた。

さて地上に・・・と思ったらビックリした。なんと別の地下鉄への乗り換え口なんぞある。
そこを通って地上に行くのだが、いつのまにナーポリは発展したのだとちょっと驚く。失礼か。

地上に出る。
イヌのウンコと割れたガラスビンがそこらに散乱し、車が隙間という隙間に停まっていて、スクーターが通りという通りを爆走している。

スクーターの排ガス。オイルの焦げた独特のニオイ。
数分に一度はいっせいに鳴り出すくるまのクラクション。
どこかでいつも鳴り出している車のセキュリティホーン。救急車の音。
街中に、それも歴史的建造物だろうがかまわず走っているストリートペイント(落書き)。

ナーポリだなぁ。

人の波をすりぬけすりぬけ、歩いた。
ここがどこかは忘れた。が、歩き出すうちに思い出すだろう。下れば海のほう、上れば山の方。どちらに行きついても目印ははっきりしている。つかれたらバールで休めば良い。
街はすっかり夜の風景だ。時間は6時。

ナーポリな人々がたくさん街を歩いている。いかにも仕事なさそうな若者。片足を引きずってなにかくだを巻いて千鳥で歩くオヤジ。そこらじゅうの紳士に「タバコくれよ」とおねだりする小学生!。みんな共通しているのは、瞳がドロっとしていてちょっと「イッちゃってる」感じなのだ。

もちろん、そんな輩は「他の街に比べれば、まあ多いかな」くらいで、大多数は一般の家族連れだ。みんな買い物したり、買い食いしたり。

古本街があった。息子が店先にあるねこの写真の絵葉書が欲しいというので小銭をくれてやった。30チェンティジミ(30c)だった。
こんどはギターやらマンドリンやらの工房が軒を連ねた路地がある。
古道具、雑貨、ローソク?。細い路地に無数の商店が延々と続く。どこまで続くのだろう。
息子はいいかげんナーポリの街の歩き方がわかってきたみたいだ。スクーターに轢かれないようにちゃんとはじっこを歩いているし、道に落ちているウンコもよけて通る。道路を横断するときもくるまのと切れるタイミングを計ってダッシュで渡るようになった。

ひとしきり通りを歩き、広場に出ると息子が
「おなかがすいたよ」
そうだな、なんか食うか。
ピッツェリアがあった。小さめのマルゲリータ2枚、3エウロ。
オヤジがマフラーをしてるので思わず聞いた。
「寒い?」
「いやー寒いよ。」
「トーキョーはもっとさむいぜ」
「何度?」
「5℃」
「じゃ同じだ」
「ソット・ゼロ(マイナスだ!)」
「ワーオ!」
焼けた。
広場の石にダベリながら、俺らはマルゲリータを丸めて食った。
ぱっと見よりもモッツアレラが大盛りで、食いごたえがあった。
息子は、そのボリウムになかなか食えずに格闘してた。

広場の反対側にはアフリカ人と中国人がペアになって電化製品のバッタ屋をやってた。
タバッキには雑誌がならんでる棚の上にナーポリのユニフォームがつるしてあった。
反対側のジェラッテリアでは、10人くらいの大家族がこの寒さの中ジェラートをみんなして食っていた。

疲れていたのだが、ふーっといい気分になる。この空気感、なんかいいな。

マルタの休日もそれはそれで良かったが、このどうしようもなく汚れた街にもなんか安心感をおぼえる。理由はわからんが。

明日は朝からカルチョをみるため、ナーポリの街を満喫するのもこの時間だけなのがちょっともったいない。

息子が口のまわりをオリーブオイルだらけにしていった。
「あー、食った」
口、ふけよ。

そばにあったバールに入った。
俺はカフェ、息子にはスプレムータをたのんだ。もちろん、立ちのみだ。

カフェは本当に美味かった。世界一うまいんじゃないか。
息子はピッツァで相当のどがかわいたのか、一気に飲み干した。
「うんめ~!」

「さてと、ねぐらへ戻るか」
「うん、俺ねむいし」

現在地がどこかわからなくなった、が下っていけば海なので迷うことはないだろう。案の定大通りに出た。地下鉄の入り口を発見。

階段をくだって驚いた。
駅名はDANTE。あれ?きいたことねぇ。
さらにやってきた電車をみてびっくり。なんとちゃんとした「地下鉄」の車両なのだ。「ちゃんとした」とは失礼だが、ミラノの地下鉄みたいだ。
しかもきれいで路線図まできちんと車内にある。
信じられん。ショックを覚えた。

路線図どおりに次の駅で乗り換え、メルジェリーナ行きの「列車」地下鉄を待つ。
ナーポリも考えてみたら300万都市だもんなぁ、ああいう地下鉄があってあたりまえか。

メルジェリーナについた。坂道を登りながら、眠い眠いと二人でわめいた。

オステロのロビーには数名がくつろいでいるだけで、とても静かだった。

部屋に入るなり、俺と息子は2段ベットの下と上で、あっという間に寝てしまった。

(2004/1/5)

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maggio 13, 2005

(再)日々是運動・ヴァカンス特別編⑥幸せな休日

幸せな休日


1月4日

ぐわーん!!ぐわーん!!

何ごとか?

ぐわーん、ぐわーん!!

ひえーっ!

たまらず毛布を頭からかぶりおののいた。おそるおそるカーテンを開ける。

ぐわーん!!ぐわーん!!ぐわーん!!ぐわーん!!ぐわーん!!

なんと寝ている部屋、この4階の窓のどまん前には馬鹿大きい鐘楼があり、けたたましく時をつげていたのだ。

時?

ばっと時計かわりの携帯をのぞくと、午前6時。

外はまだ暗い。すっかりばっちり目がさめたので顔を洗い、洗面台でヒゲソリを丁寧にした。
きょうはここにもう一晩泊まれる。まる一日移動のない日だ。まさに「休日の中の唯一の休日」なーんて馬鹿なことを考えては自分で勝手に受けていた。イヒヒヒ(あぶない)。
こんなばかげたことも今日はありなのだ。

旅行中にしみじみ思うのもおかしいのだが、今日は久しぶりに「なんの束縛もない一日」なのだ。仕事も家事も、ヒコーキの時間も関係ないのだ。

息子、起きる。また鐘がぐわーん!!ぐわーん!!と鳴る。

外がやや薄暗くなる。カーテンをフルオープンにする。外にある鐘楼の全体像がはっきりとしてきた。なかなかの風格である。

夜は思ったより冷えたのだが、毛布と掛布一枚さえしっかりかけていれば平気だった。

最低限の持ち物だけを支度して、息子と下の食堂ににおりた。

階段をおりる途中、下からはまるで言い争いのような声がする。おばあさんと娘さん?の会話ようである。
ラテンなおうちによくある光景だな、なんて思ってたらなぜかふたりともなごやかであった。きのうバスで横聞きした「わからん」言語と同じだった。

起こり口調がマルタ語の特徴なんだろうか?

我々をみるなり、おばあちゃんがうれしそうに息子を食堂に招き入れ、頭をなでた。あまりにも気分がいいのでグットモーニング!とつい現場声で叫んでしまう。

奥から娘さん(といってもおばちゃんだが)がポットを運びながらグッモーニン、と低い声でいってくれた。
おばあちゃんがまたうれしそうに朝飯のパンを焼いてもってきてくれた。
こんどはおじちゃんの登場だ。思ったより老けていたので、実はおじいちゃんだったのだ。ここは老夫婦が経営していたのか。

娘さんはわきの椅子に腰を降ろすとなにやら薬のカプセルみたいなのを何粒か飲んでいた。
食堂はこぢんまりとしていて、家庭の味たっぷりだ。クリスマスかざりがへやいっぱいにあった。カトリックの国。

おじいちゃんがTVをつけた。バリバリのマルタ語放送だ。さっぱりわからん。おじいちゃんがとっさに気をきかせて英語放送にかえてくれる。でも俺はエーゴがわからん(笑)。

窓の外をチラとみてみる。雲がすごいイキオイであちこちにちらばっていくのが見える。こんなに早くながれる雲なんて久しぶりに見た。びゅうびゅうごうごうという音が聞こえる。風がトップスピードになっている。
「どこに行くんだい?」とおじいちゃんがニコニコしながら聞いてきた。
どこにいくわけではない。ついこんな言葉を口にしてしまった。

ゴウ・トゥ・ピクニック!

食べおわるとすぐさま上着を着て、でかけようとした。おじいちゃんには5時には帰ります。と伝えた。おじいちゃんは 何か俺にいろいろ言ってくれた。がまったく意味がわからなかった。
わからんけどお互いニコニコして手を振った。

表にでた。空を見上げる。さっきまでびゅうびゅうと流れていた雲の全容がわかった。
すっかりと明るくなった朝の街へと繰り出す。さっそく石段の下の方からてんてんてん、とねこが歩いて目の前を通りすぎていく。息子が興奮する。
今度はまるで自分がねこになったかのように勝手にてんてんてん、と先走っていく。きょうの行動計画はこいつの好きにやらせてみようか。と考えているのでもうお任せだ。

ヴァレッタ。
なんとまあ古い街だろう。さすが街ごと世界遺産だ。石造りの家が目の前から遠く(向こう側の海のほう)まで延々と続く。壮観である。

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空は雲がぱーっと遠くに退散していた。風がびゅうびゅうと吹いていた。

ヴァレッタの街は半島をまるごとそのまま砦にしてしまった街のようで、端っこにいくと真下は垂直の断崖絶壁である。何度も繰り返すようだが街並みは本当に古い石造りで、中世そのままの風景にはためいきがでてしまう。
その壮観ぷりたるやナポリやバーリの旧市街どころではない。

「ねこ!ねこ!」と叫びながら息子は「写るんです」の35mmをあちこちに向けてはバシャバシャと撮影していた。海沿いをただひたすら歩いてついていく。
断崖絶壁の上から下をみると、たくさんの漁師小屋がある。
釣りをしているおじさんが何人か見えた。
さっきまで「ねこ!ねこ!」と喜んでいた息子はこんどは下のほうのぞきこんで「おおぉー」と声をあげた。
みてみると漁師小屋の屋根に3匹ほどねこがたむろしてて、そのうちの一人がねずみをとっつかまえてがぶがぶしている。
しばらく進むとこんどは釣り人が釣